2013年6月11日火曜日

背景を知ってきちんと着たい!イディスヘッドのスタイリング!!

ムービースターのムック本や最近発売したWWDの映画特集もしかり、
映画から派生するファッションが注目されている。
ただ単に服を着るというよりも、歴史的背景を知った上で着ようという
動きは、視覚重視のレディースファッションも
メンズのように「賢く」という点で、少し変わってきたように思える。

そんな中で、私が最も影響を受けたスタイリスト、

ファッションアイコンを作り上げ、今の時代にも通ずるファッションの原型を作った人物
イディスヘッドを取り上げてみる。

まず私が思うスタイルアイコンの定義は以下である。

スタイルアイコン
Ⅰ、アイコン主=スタイル
Ⅱ、実際に流行ったか
Ⅲ、流行った後、そのスタイルは定着したか



イディスヘッドといえば、「ティファニーで朝食を」が有名である。
この時にでてきたlittle black dressは
のちのち女の子のワードローブの一着となり定着するのであるが、
注目すべきなのはこの時のスタイリングにある。
ジバンシーのブラックドレスで登場するシーンがいくつかあり、
アクセサリーなどの装飾やスタイリングによって雰囲気を変え登場している。
ここから、ぜいたくにたくさん持っているわけではなく(ジバンシーのドレスであるが)
ちゃんと着まわしているということがわかり、私たちと同じくリアルである。




さらにこのころ長身の身長で悩んでいたオードリーにフェラガモのフラットシューズをはかせ
この背景もまたアイコン主=スタイルであり、
プライベートとも結びついている。



イディスヘッドが唱える”less is more”というように
今の”Kawaii”に通ずる
ドレスにペタンコシューズというミスマッチなところがまたかわいらしいのである。
シックで飾らないスタイルがカジュアルであり、
庶民の私たちも真似が出来、再生可能。。
その結果、憧れて真似し、流行からスタイル定着に代わる。



オードリーがスタイルアイコンになっただけではなく、
この映画によって、フェラガモ=フラットシューズというイメージまで作り上げたのである。
実はマリリンモンローもフェラガモのピンヒールで登場しているが、
リアルではないスタイル、
アイコン主=スタイリングにならなかったのか、
フェラガモ=ピンヒールにはならなかったのである。

こんな背景を知った上で洋服を着てみるのも
ちょっと賢いおしゃれではないだろうか?



2013年6月6日木曜日

TPOを意識して!服を着る意味にストーリーを!



装うということにおいて
自分の趣味思考にあった好きなものだけ着ることが出来ればどんなに幸せだが、
この世の中にはTPOを意識したfashionが必ずある。

それは、目的が自分主体か、相手を意識したものかという所で変わってくる。
着るという事は、少なくともノンバーバルコミュニケーションでの相手への敬意を払う行為であり、
自分の中だけでは完結できないものである。
自分のファッション=相手の為のファッショが一致すればいいが、
これはアパレルで働いていていても難しい事だ。(多くの人は着せられてる感がある)


その中で、どうせなら少し視点を変えて、自分の置かれたTPOを楽しんでみたらどうであろうか?
ディズニーランドに行くから、ミッキーの耳を付け、ミッキーのTシャツを着るにしかり、
アイアンマンを見に行くので光るアイアンマンTを身に着け鑑賞する。
これだって立派なTPOなのである。
シチュレーションに合わせてなりきるだけで、気分が上がる。






これを日常に置き換えてみたらどうだろうか、、

「ちっ、こんなスーツに身を包んだわたしなんて…退屈じゃ!欲しくない服なんて買いたくない!」
と悲観的になったり、
「毎日私服考えなくていいからかえって楽」
なんて開き直らずに、
日々のファッションを楽しみたい!


私は女優、、
「今の役はOLなの。普段はこんな服なんてきないけどなんか新鮮ねフフフ、
これからオフィスシーンのロケなの。」
と構えて、
今回のPradaのコレクションの設定のように、
「朝飛び起きて、シャンプーはしたけどドライヤーは使えなかった、
 
時間がなかったから服は少し乱れ、彼のジャケット借りてきちゃった~♪」
などと勝手にストーリーを作ってみるのである。





だって実際これが私たちのリアルなのだから…。
そのちょっとした裏の設定、事情が垣間見れるだけで
人間味がありすごくかわいいものである。
無理やり意図的に意味を持たせるだけで、
服が着せられているから着こなしているに変わる。
Fashionはライフスタイルであり、
抜けのある生活感の表れもまたFashionなのかもしれない…。


2013年6月1日土曜日

匂い・重さ・空間 すべてひっくるめて紙が好き!私のパワースポット本屋さん!

私は本が好きだ。
これは周りに何もない、地方で育った環境が影響している。
昔からまっすぐ家に帰るのが苦手な性分なくせに、行く場所とってたら本屋かTOP10に入るようなメジャーなCDしか置いていないCDショップしかないもので、
いつも交互に足を運んでいた。
ビデオを借りたくても、近くにレンタルショップもないから小説にはまるしかなく、
かわいいお洋服が欲しくても買う場所はなく、メンズからレディースまですべてのジャンルの雑誌をチェックしイメージトレーニングの日々だった。
当時の私は、全然イケてない恰好でありながらも、それらに関する知識だけはミーハーに備え付け、月1での憧れの東京の旅では、「あの人○○(ブランド名)の服だ~」や「○○(雑誌名)の何ページに載ってた服だ~」と大体はわかったりした。


上京してからは、そんな生活の反動もあり、ぶっ飛んだ生活にチェンジしたのであるが、
今も変わらずそれも毎日行くところがある。
本屋である。

主に大衆的な本屋(文教堂や紀伊国屋)、駅前の商店街の本屋、ちょっとおしゃれな代官山蔦屋・ABC、towerbooksや個性的な本屋,Cowbooks、SPBCに246books、またアート系のnadiff a/p/a/r/t,on sundaysなど休日は全部回る。
それでもって家の近くに代官山蔦屋という,ものすごく居心地のいいスポットがオープンしたものだから、仕事帰りまっすぐ家に帰らないことが日々の日課になった。

毎日行ったって本なんてなにもかわらないじゃんと思うかもしれない…。
それが変わっているのである。
仕入れる本は本屋によるかもしれないが、大体平均して一日に発売されるのは200タイトル。
昨日まであった本に加えて200タイトルも店頭に並べるとなると、それはそれはほんの大移動である。細かい部分に目を向けてみると、私たちを導く導線は変わっており、昨日まで右を向いていた本が左になっていたりと、そんな気付きにニヤリとする。
そうやって、どれが新らしく入荷したものか、この本屋は何を売りたいのか、そこから客層が見えてくる。本を通して人間観察するのが好きなのだ。

私が代官山蔦屋に、仕事帰りに毎日通う理由のひとつに、来ている人の服装を見るという目的もある。特にmagazine streetのところで立ち読みしている人たちは、お洒落で、その人たちが何を読み、何にインスパイアされ、どういうライフスタイルが好みなのか、その先が見えてくる。
50・60代の大人をターゲットとしたところ、ちょっとおしゃれでカルチャー志向の若者までついてきたといったところであろうか…。
雑誌や本の分野をある程度カテゴライズし、そこに軽くあてはめてみると、何となくこの先のライフスタイルが見えてくる。

本屋は、昔と異なりただ本を買う場所ではなくなってきた。本や関連物を通してイベントが行われたり、その分野に興味があるものが集いコミュニティー形成の場となりつつある。

紙は売れない、電子化の時代という流れも確かに感じる。
しかし、本を読んでいるときに感じる匂いからは、懐かしさや時代を感じ、
本の重み=本から得た知識であり、
下から上まで本で埋め尽くされた本棚の空間には圧倒され、賢くなった気分に浸れる。
アマゾンのおススメを買うのもいいが、
売り場で、目で見て、その時の自分と対話して感じて選ぶ方法が、
一番心に響く出会いなのかもしれない。